映画

2009年4月14日 (火)

佐藤祐市の新作

小池徹平、2ちゃんねるで大反響のブラック会社の社員に!「俺は限界かもしれない…」 - シネマトゥデイという記事を読んで、ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない:ハムスター速報 2ろぐを読む。2ちゃんねるのスレッドのまとめサイト。最初の3章が面白かったので書籍化された本を楽天ブックスに注文。その後、少し中だるみがあって、注文は少し早まったかと思ったが、その後は盛り返して終了した。それぞれにキャラが立っていてドラマのような話である。

スレを立てたマ男(プログラマーの男の略)は中卒で10年間ニートだったが、母親が交通事故で死に、社会復帰を決意する。ところが入った会社は労基法無視のとんでもないブラック会社。マ男は入社したその日に夜中まで残業させられる。しかもパソコンのメモリは128MBしかなく、フリーズしまくり。いばっているだけで仕事はあまりできないリーダーとリーダーの太鼓持ちのような井手、吃音だが仕事はできる上原、優秀で人間もできている藤田に、美人の派遣社員中西さんが加わって、理不尽な会社の中でマ男の苦難と挫折と再生が泣き笑いを交えて描かれる。

マ男が会社を辞めることを決意した際に引き留める藤田の言葉がいい。

「君は、確かに今の時点では私や上原さん、中西さんには仕事ではかなわないだろうしコミュニケーションや度胸では、井出さんやリーダーにはかなわないだろう。    
だけどね、君はこれら全員を上回る底力を秘めてるんだよ。少なくとも私はそう思うよ」

文系で論理的思考ができるなら、プログラマーに向いているというレスがあって、そうだなと思う。プログラムに必要なのは論理的考え方で、それさえあれば、文系、理系を問わず、プログラミングはできるのだ。これは逆も成立して、優秀なプログラマーは論理的で分かりやすい文章が書けるはずだ。だからマ男の話の構成はドラマのようにうまい。

監督は「キサラギ」の佐藤祐市。小池徹平はマ男には格好良すぎるが、映画なんだからしょうがない。藤田に田辺誠一、上原に中村靖日というのはピッタリのキャスティングと思う。公開は年末ぐらいか。「電車男」同様、映画公開後にテレビドラマにもなりそうな題材である。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年3月 4日 (水)

「わたしを離さないで」にナイトレイ

カズオ・イシグロの傑作「わたしを離さないで」の主演にキーラ・ナイトレイが決まったそうだ(キーラ・ナイトレイがカズオ・イシグロ原作のSF「わたしを離さないで」に主演)。監督は「ストーカー」(アンドレイ・タルコフスキー監督作品ではない方。ロビン・ウィリアムス主演)のマーク・ロマネク。4月から撮影開始だから公開は来年になるのだろう。ナイトレイのきれいな目は悲劇にも合うので、普通の監督ならば、大丈夫だろう。でも、できれば監督は「プライドと偏見」「つぐない」のジョー・ライトが望ましかった。まあ、楽しみにしておこう。

原作の感想は映画とネットのDIARY(2006-09-27)に書いた。今、構築中の新しいブログにはこういう本の感想を集めようと思っている。1999年から書いてきた感想がけっこうあるのだ。もはや自分でも何を書いたか覚えていないので探すのが面倒だが、とりあえず50個ぐらいは見つかった。ブログのカテゴリーはちゃんと分けておかないとダメだな。僕は映画の感想しか分けていなかった。

全然、話は変わるが、45さんのブログのコメント欄で映画「MISHIMA」(正確なタイトルはMishima: A Life in Four Chapters)のことが言及されたので、ここで補足。IMDBで調べると、評価は7.9と高い。僕も20年ほど前にビデオを見たが、そんなに面白かったという記憶はない。キャストは今見ると、凄い。緒形拳、三上博史、佐藤浩市、大谷直子、利重剛、加藤治子、烏丸せつこ、倉田保昭、平田満、沢田研二などなどだ。日本人俳優がたくさん出て、当たり前のことながらセリフもほとんど日本語だった。

監督は絶好調だったころのポール・シュレイダー。兄のレナード・シュレイダーが脚本を書いていた。これはもう一度、ちゃんとした形で見たいものだ。DVDも出ていないので無理か。輸入盤を買うか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年2月24日 (火)

土俵の違い

今朝の新聞各紙は「おくりびと」のアカデミー賞受賞を大きく報じていた。各紙の分析を読んでみたら、僕が昨日書いたことも大きく外れてはいなかった。やはり世相の影響があったのだろう。ということろで、Googleリーダーで読み残した映画関係の記事をチェックしていたら、シネマトゥデイが『おくりびと』が受賞確実?「アカデミー会員は皆投票した」と著名評論家明かすという記事を授賞式前日に書いているではないか。

読んでみると、「おくりびと」の作品自体の出来の良さに加えて、ライバルの「戦場でワルツを」がアニメであることがマイナスになるとの指摘だった。

「過去の例から言ってアカデミー会員たちは実写は実写、アニメはアニメと部門がきちんと設けられているものへのジャンル分けに対して非常にうるさく、今回アニメ部門でなく外国語映画賞にノミネートされた『戦場のワルツ』への風当たりが強くなる」。

なるほどと思う。アメリカではまだアニメは実写より下(日本もそうだが、それ以上に下)の存在なのだろう。

事前の予想ではMSNムービーも「おくりびと」の受賞を的中させていた。こちらは日本映画への贔屓が含まれているにしても、「今年は混戦模様。票がバラけそうな気配で、『おくりびと』にも受賞のチャンスは少なからずある」という分析はまともだ。

地元の新聞は「おくりびと」の受賞について「今年のアカデミー賞で一番のサプライズ」と書いたそうだ。5本を見比べれば、映画の内容としては「戦場でワルツを」の方が勝っているのかもしれない。でもやっぱり、受賞には内容だけで判断してはいけないところがあり、この記者は一般観客の嗜好が見えていなかったのだろう。アカデミー会員は評論家ではなく、一般観客の嗜好に近いのだと思う。僕は以前から、カンヌ映画祭は芥川賞(純文学)、アカデミーは直木賞(大衆文学)と思っている。

快挙ではあったけれど、今回の受賞で「日本映画の優秀さが認められた」などと思うのは早計もいいところで、他の堅いテーマを持った4本と同じ土俵で勝負しなかったから勝てたと思った方がいい。では同じ土俵で堅いテーマを持った作品だったらどうだったか。日本映画にはそういう作品が最近、少ないので想像しようがない。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年2月23日 (月)

「映画は言葉を越える」

アカデミー賞授賞式後のインタビューで滝田洋二郎監督がそう言っていた。実際には言葉の壁を越えられない映画もたくさんあるのだが、「おくりびと」は海外の観客にも支持された。僕は去年の日記に「実際に映画を見て、これは海外でも評価されるのも当然だと思った。死者の尊厳を大事にする納棺師の仕事はどこの国でも共感を得るのに違いない」と書いたけれど、「おくりびと」の内容はそれほど普遍的なものだった。

受賞後の記者会見(スターに会うためになかなか会場に入らなかったという本木雅弘のミーハーぶりが爆笑だった)で記者の1人が「地元メディアで事前の下馬評は高くなかった」と言っていた。強力なライバルがいたからだ。カンヌ映画祭パルム・ドールの「クラス」、全米映画批評家協会賞「戦場でワルツを」の2本。IMDBの採点で外国語映画賞にノミネートされた5本の映画を比べてみると、

  • 「おくりびと」8.2
  • 「戦場でワルツを」8.2
  • 「クラス」8.0
  • 「レバンチェ」7.6
  • 「バーダー・マインホフ 理想の果てに」7.4

ということになる。なんだ、「おくりびと」は「戦場でワルツを」と並んで評価が高いではないか。ユーザーレビューには「生と死についての美しく感動的な映画」とある。恐らくこの上位3本で票を分け合ったのだろう。一騎打ちだったら、ユダヤ人の力が強いハリウッドでイスラエル映画の「戦場でワルツを」に勝つことは難しかったかもしれない。他の4本が深刻なテーマを扱っているのに対して、「おくりびと」はユーモアを交えた感動作だったことも票を集めた要因なのだろう。

5年前に受賞できなかった「たそがれ清兵衛」と「おくりびと」はどちらが好きかと言われれば、僕は清兵衛の方が好きだし、作品の出来でも上だと思う。でも、受賞はライバルと時の運が大きく左右するのだ。今回は世界的な経済危機で暗い世相というのも、温かいDepartures(アメリカでのタイトル)を後押ししたのかもしれない。作品も素晴らしかったが、「おくりびと」はそうした運にも恵まれていた。

それにしても日本映画が外国語映画賞を受賞するのは独立した賞になってからは初めての快挙だ。それ以前、名誉賞の一部だった頃には「羅生門」「地獄門」「宮本武蔵」が受賞しており、53年ぶりの受賞という。ピンク映画の監督から出発してオスカーを手にすること自体、世界的に見ても極めてまれ、たぶん初めてではないか(俳優ではシルベスター・スタローンが売れる前にポルノに出ていた)。

滝田監督、本当におめでとうございます。次の作品も楽しみにしています。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2009年2月22日 (日)

3冊行方不明

キネ旬ベストテンのページに手を入れ始めたら止まらなくなった。30位まで掲載してある年が少なかったので1992年ごろからさかのぼって書き始めた。キネ旬の決算号は1978年以降の分はそろっているので、いつでも追加できると気を許していたのがまずかった。本棚を見てみたら、1986年から88年までの3冊が見あたらない。

昨日書いたようにキネ旬ベストテンのページを作り始めたのは2000年だから、その時には確かにあったはず。乱雑に積み重ねてある本棚のどこかにあるのだろう。一度、本棚を整理しないといけない。4年ほど前に買ったLinux関係の雑誌とか、もう絶対に読まないパソコン関係の本がまだ残っているのだ。3冊が見つからないとまずいので、amazonに「キネマ旬報ベスト・テン全史」を注文。1924年から2006年までのデータを収録した本で、2007年に出た。出た時は決算号もそろってるし、ベストテン全集も持ってるからいらないやと思ったが、1冊にまとまってると、便利ではある。それに古い決算号はもはやホコリまみれでボロボロになってるのだ。

キネマ旬報1985年2月下旬号 今日は頑張って78年分までさかのぼり、30位まで書いた。すべての順位が分かるのは1946年の分までだから、あと32年分である。と言うと、大変そうだが、タイトルを書いていくだけだからそんなに手間はかからない。むしろ、いろいろな映画のことが思い出されて楽しい。おっ、と思ったのは1985年の決算号。吉永小百合が「おはん」「天国の駅」で主演女優賞を取った年で、「お葬式」で主演男優賞を取った山崎努とのツーショットの写真がある。なんせ24年前、39歳のころの写真だから、めちゃくちゃきれいですね。山崎努も随分若い。

「天国の駅」は浦山桐郎監督だったが、あまり評判が良くなかったので僕は見ていない。「おはん」は市川崑監督なので見たが、この前の「細雪」に比べると、出来は随分劣った印象があった。キネ旬ベストテンでは6位にランクされているけれど、それほどの作品かと思う。なのに主演女優賞というのは、よほどほかに主演女優の映画がなかったのだろう。他の女優が主演した映画を調べてみると、ベスト30に入った作品では「Wの悲劇」(薬師丸ひろ子)「伽倻子のために」(南果歩)「廃市」(小林聡美)ぐらいしかない。若い女優には主演女優賞をあげられませんということだったのだろうか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年1月 5日 (月)

「イースタン・プロミス」

久しぶりにGoogleノートブックを使ったら、「イースタン・プロミス」の感想を書いてそのままにしているのを発見。日付は昨年10月13日。日記にコピーするつもりで書いて忘れていた。せっかくなのでここにコピーしておこう。

「イースタン・プロミス」パンフレット パンフレットによれば、「イースタン・プロミス」とは東欧組織による人身売買契約の意味とのこと。キリスト教絡みの意味があるのかと思ったら、内容をそのまま表したものだった。イギリスのロシアン・マフィアを描くこの作品、最初からバイオレンスに彩られている(暴力描写でR-18というのも暴力に甘い日本では珍しい)。デヴィッド・クローネンバーグの前作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は我慢に我慢を重ねた男が最後に爆発するという、まるで高倉健や鶴田浩二が出て来る任侠映画のような筋立てだったが、今回は菅原文太が出てくる実録路線のヤクザ映画を彷彿させる。冒頭、理髪店の椅子に座った男が首を切られるシーンから凄絶な描写。従来のマフィア映画であれば、剃刀をスーッと横に滑らせるだけだが、この映画ではのこぎりの歯を引くように左右にグビグビと動かして喉笛を切る。マフィアを描いたといっても社会派の映画ではさらさらなく、リアルなバイオレンス描写が前作から続いてのクローネンバーグの関心なのではないかと思えてくる。バイオレンスと緊張感に満ちた作品だ。

内容はタイトル同様に明快である。助産師のアンナ(ナオミ・ワッツ)が働く病院に妊娠中のロシア人少女が胎盤剥離で搬送される。少女は死ぬが、子供は生まれる。少女の身元を探すためアンナは少女が持っていたカードからロシアン・レストランを訪ね、店の前でニコライと名乗る男(ヴィゴ・モーテンセン)に出会う。レストランの主人セミオン(アーミン・ミューラー=スタール)は温厚そうな人柄だったが、少女が残した日記に強い興味を示す。日記はロシア語で書かれており、アンナには読めない。ロシア人の叔父に訳してもらうと、そこにはロシアン・マフィアの恐ろしさが綴られていた。セミオンはマフィアのボスで、ニコライはその息子キリル(ヴァンサン・カッセル)の運転手だった。

スティーブ・ナイトの脚本は過去によくあるマフィア映画の設定をロシアン・マフィアに移し替えたもので、取り立ててよく出来ているわけではない。ボスの息子が酒浸りでダメな男だったり、そのそばに優秀なニコライがいる設定など何度も見た覚えがある(ちなみに、スティーブ・ナイトは別名で本当はスティーブン・ナイト。作品によって最後のnを取ったり取らなかったりしているのは何か理由があるのだろうか)。それなのにこんなに緊張感のある映画に仕上がるのはやっぱり映画は監督に左右されるからだろう。クローネンバーグのギャング映画はマーティン・スコセッシともコーエン兄弟とも異なる独自のものだ。サウナで全裸のモーテンセンがチェチェンマフィアの男2人と繰り広げるアクションは凄絶で極めてリアル。

ヴィゴ・モーテンセンは冷徹な男をクールに演じて隙がない。ヴァンサン・カッセルのダメ男ぶりもうまいと思う。どちらも演技に奥行きがあった。

以上、コピー終了。

なぜ、これを日記に移さなかったかというと、まだ途中なのだ。もう少しちゃんと書いて仕上げてからコピーしようとしてそのままになっていた。

僕は必ずしもこの映画に100%満足したわけではない。何が物足りないかと言えば、ストーリー。よくある話すぎるのだ。それが単なるよくある映画に落ちなかったのは描写がものすごいから。ただし、描写の凄さだけで評価して良いものかどうか迷った。前作と同じような趣向というのも気になった。上に書いた文章は褒めっぱなしなので、そういう批判的な部分を付け加えるつもりだったのだ。

ところで、このブログの画像はデフォルトで横幅100ピクセルになっていたが、それでは小さすぎるので150ピクセルに変更した。元の画像はだいたい200ピクセルぐらいでスキャンしている。映画パンフレット のページにもコピーしているので、今後は300ピクセルぐらいにした方がいいか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月 3日 (土)

「WALL・E/ウォーリー」ほか

「WALL・E/ウォーリー」パンフレット 昨年の映画ベストテンを選んでいて痛感したのが感想を書いていない映画が多いこと。いろいろと忙しいためもあるが、「母べえ」も書いてませんでした。これはいかん。今年からは短くてもいいから必ず書こう。ちなみに選んだベストテンの1位は洋画が「ラスト、コーション」、邦画は「おくりびと」という極めて普通の選択になりました。

最近見て感想を書いてなかったのが昨年末に見た「WALL・E/ウォーリー」。合評会の課題作でもあるので、自分のためにメモしておくと、これ、正直な映画だと思う。キャラクターがかわいくて3DCGの技術も脚本もうまくまとまっている。地球環境保護のテーマも真っ当だ。700年間宇宙を旅している人間たちがいずれも太っているのは実にありそうだ。そしてこれもエコのテーマにつながっていく。ロサンゼルス批評家協会賞を取っても異論はない。

だが、個人的には正直に作ってあるだけでそれ以上のものはないと感じた。SFのセンスは普通、語り口も普通。過不足はないのだけれど、ここは凄いと感心した所がないのである。子供向けあるいはファミリー映画としてこれほどまとまった映画なら不満を述べる筋合いはないが、ただまとまっているだけのことなのである。監督のアンドリュー・スタントンの作品には「バグズ・ライフ」「ファインディング・ニモ」のどちらにも同じようなことを感じた。平均的にそつなくヒットを打つが、ホームランは少ないタイプと言えようか。で、この映画のパンフレット、確かに買ったのだが、家の中で見あたらない。年末の大掃除でどっかに消えたようだ。車の中にあったのでスキャンした。

「WALL・E/ウォーリー」に関してはキネ旬1月下旬号で立川志らくが、映画の中に出てくる「ハロー・ドーリ-!」について、数ある傑作ミュージカルの中でこれを選んだことに不満を書いている。これも「ハロー・ドーリー!」にかこつけて映画全体への微妙な不満を述べているのではないかと思う。「ハロー・ドーリ-!」という普通の出来のミュージカル(IMDBで6.8)を選んだのは普通の監督のアンドリュー・スタントンにはふさわしいかもしれない。といっても僕は見てないんですけどね。スタントン、かなり優等生でマニアックなところはないのではないか。

キネ旬1月下旬号と言えば、東宝の2009年ラインナップが紹介されてあった。期待できるのは24日公開の「誰も守ってくれない」(君塚良一監督)、映画館のマナーの爆笑CMにも使われている「クローズZEROII」(三池崇史監督)、「アマルフィ 女神の50秒」(西谷弘監督)、「BALLAD 名もなき恋の歌」(山崎貴監督)、「ヴィヨンの妻」(根岸吉太郎監督)、「ゼロの焦点」(犬童一心監督)などか。

「20世紀少年」の第2章と第3章に関してはあまり期待はしていなが、第1章をあそこまでつまらなく作ったのだから、あれ以上に落ちることは考えにくい。といっても原作は第1章の部分が一番面白かったんだけど。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年12月28日 (日)

「K-20 怪人二十面相・伝」

「K-20 怪人二十面相・伝」パンフレット クライマックス、ビルから落ちる金城武を間一髪、松たか子がジャイロコプターで救いに来る場面を見て確信した。これは「ルパン三世 カリオストロの城」だ。パンフレットのインタビューで監督の佐藤嗣麻子はまったく触れていないけれども、この空中アクションの多さと令嬢の松たか子の在り方、事件が終わった後に思わず2人が抱き合いそうになる場面などなど「カリオストロの城」との類似点が多い。

もちろん、一見すれば、主人公が持つ武器から「バットマン」や「スパイダーマン」を思い起こすのは当然だし、怪人二十面相のダークな扮装は「バットマン」そのものなのだけれど、本筋は「カリオストロの城」である。時代錯誤的な企画としか思えなかったこの題材をエンタテインメントに仕上げた佐藤嗣麻子の手腕は褒められて良い。しかし、それより何より金城武のアクションと山崎貴が加わったVFXを褒めるべきだろう。金城武は演出の緩みが気になったところで軽やかにアクションを見せ、画面を引き締める。こういう優れた俳優を中国や香港映画にばかり出していて良いわけがない。最近の日本のアクション映画の中で出色の快作。シリーズ化を望みたい。

第二次世界大戦が回避された1949年の日本が舞台。そこでは一部の金持ちである華族と貧困層に二分され、両者の間では結婚もできないという厳然とした差別があった。という説明で始まり、上空からVFXで描いた帝都を移すカメラワークが良い。帝都では華族を専門に狙う泥棒の怪人二十面相が暗躍していた。主人公のサーカス団員遠藤平吉(金城武)はカストリ雑誌の記者(鹿賀丈史)から明智小五郎(仲村トオル)と華族羽柴家の令嬢羽柴葉子(松たか子)との結婚式を撮影するよう頼まれる。厳重な警備をかいくぐって天窓から写真を撮ろうとしたその時、ビルの中で爆発が起こり、平吉は怪人二十面相と間違えられて逮捕されてしまう。護送の途中、天才カラクリ師の源治(國村隼)らの手助けで脱走した平吉は無実の罪を晴らすため怪人二十面相を追うことになる。

金城武がビルから飛び降りたり、鉄塔に上ったりするアクションは明らかにワイヤーで吊られているが、それでもアクションに慣れていないとできない動きだろう。この映画、ベタなギャグもあるけれど、ユーモアを散りばめた展開とアクションのバランスが良い。アクション監督は海外の作品にも参加している小池達朗と横山誠。この名前は記憶しておきたい。

帝都には東京タワーのようなタワーがあるが、時代を考えれば、まだできていないはず。昭和33年を舞台にした「ALWAYS 三丁目の夕日」で建設途中の東京タワーを見せた山崎貴の遊び心なのだろう(VFXディレクターは渋谷紀世子で、山崎貴は協力とクレジットされている)。空撮で貧困層の街並みとその奥にある近代的な建物を対比させるのがうまいところで、この帝都もまた現代以上の格差社会なのだ。佐藤嗣麻子はそうした世相を反映させつつ、映画の架空世界を構築している。僕は佐藤嗣麻子作品は吉野公佳主演の「エコエコアザラク」しか見ていないが、あれもまたVFXに見るべき所のあった作品だった。

松たか子はコケティッシュでキュートな役をうまく演じている。國村隼の妻役・高島礼子もユーモラスな部分を見せて良かった。「カリオストロの城」と似ているなと思って見ていると、浪越警部(益岡徹)は銭形警部に見えてくる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年12月21日 (日)

「トウキョウソナタ」

Tokyosonata カンヌ映画祭「ある視点」部門で審査員賞受賞。ようやく見た。リストラされた中年男の家族をめぐる物語で、終盤に非日常的なことが家族それぞれに起こって、バラバラになった家族は再生に向かう。クライマックスのピアノのシーンで弾く手と音が合っていないのは興ざめなのだが、些細な欠点か。厳しい話をファンタスティックに語るところが黒沢清監督らしく、家族を描いてもマイク・リーほど厳しくならず、血の通った自然なユーモアに彩られているのがいい。小泉今日子は「空中庭園」に続いて、どこか憂いのある主婦を演じてうまい。キャスティングした監督にも「空中庭園」の好演が頭にあったのではないか。

46歳で総務課長から突然、リストラされる香川照之の立場が身にしみてよく分かる。この映画が海外でも評価されているのは父親のこうした立場にはどこの国でも共通するものがあるからだろう。香川照之はハローワークに行ったり、公園でホームレスに提供される食事配給の列に並んだりする。そこで同じくリストラされたかつての同級生(津田寛治)に再会する。同級生も失業を家族に言っていなかった。香川照之がリストラを家族に言えないのは家庭での威厳を保ちたいからで、父親としてどう振る舞っていたかは次男(井之脇海)が密かにピアノを習っていることを知った場面のむちゃくちゃで横暴な態度に表れている。

妻はそうした夫の本質を見抜いており、それがどこか憂いを感じさせる描写につながっているのだろう。家族は脆いもので、不協和音を奏で始めると、一気に崩壊していくものなのかもしれない。それが再生するのはそれぞれの非日常的な出来事によって日常の重要性を認識することになったからだ。酔いつぶれて「もう一度やり直したい」とつぶやく夫と、「ここからもう一度スタートしてやり直せるでしょうか」と言う妻。ともに再生の意志があるからこそこの家族は再生していくのだろう。

監督のインタビューによれば、オーストラリア人のマックス・マニックスのオリジナル脚本は父親と次男を中心にしたものだったという。それに監督が長男(小柳友)の米軍入りと母親を連れ去る泥棒(役所広司)の話を付け加えた。これで映画に変化が生まれたが、同時にややリアリティを欠くことにもつながっている。世界的な不況で派遣社員や契約社員が大量に解雇されている現状を考えると、リストラの話に絞り込めば、さらに現実を反映した映画になっていただろう。ただし、家族の再生というテーマは後退するかもしれず、難しいところだ。次男にピアノの「並外れた天才」の才能があったという設定は現実にはありにくいけれども、監督が言う「ある種の希望」を描くためには効果的だと思う。

香川照之が勤めていた会社は健康機器メーカーのタニタ。会社の実名を出すのは珍しいが、タイアップがあったのだろうか。それにしては劇中にタニタの製品は出てこなかったような気がする。小泉今日子が運転する車はプジョー207CC(クーペカブリオレ)。これは2回も出て来て、PR効果が大きい扱いだった。買いたくなった人がいるのではないか。

パンフレットは残念ながら完売。写真はチラシ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年11月23日 (日)

「言えない秘密」

Himitsu2 アイデアがあってもそれを作品にできる筆力がなければダメというのは小説の場合によく言われることだが、映画でもそれは同じこと。この作品にもそれがすっぽり当てはまる。SF的なアイデアを生かせていない。前半の青春ラブストーリーの部分が下手すぎるので、クライマックスに秘密が明らかになっても盛り上がらないのだ。後半を生かすには前半にもっと緻密な作りが必要だったと思う。これをSFとは言いたくない気分。ファンタジーなら許せるか。

音楽学校に転校してきたシャンルン(ジェイ・チョウ)は、旧校舎の古いピアノを弾くシャオユー(グイ・ルンメイ)と出会う。2人は学校徐々にきずなを深めるが、シャオユーは持病のぜんそくのせいで学校も休みがちになる……。というのが前半のストーリー。

このだらだらした前半を見ながら、秘密の予想はつき、こういうことなのだろうと思ったら、それを否定するような描写がある。あれ、そうではなかったのかと思ったら、やっぱりそういう話だったという、ふざけるのもいいかげんにしろ的展開なのである。秘密を伏せるための都合の良い描写が目に付きすぎる。要するに物語を語る技術が足りないのだ。これがハリウッド映画ならば、同じアイデアであっても、もう少しましなものになっただろう。

アイデアも目新しくはない。過去に何本も類似作品がある。しかもアイデア自体に破綻があって、なんでそういうことになるわけと思ってしまう。論理性を欠くのでSFと言いたくないのだ。となると、映画で評価できるのはヒロインのグイ・ルンメイだけということになるが、もう少し、魅力を引き出してほしいところ。次のルンメイ作品に期待したい。

監督・主演のジェイ・チョウは台湾のカリスマ・ミュージシャンでこれが初監督作品。第44回金馬奨で最優秀台湾映画、主題歌、視覚効果賞を受賞したそうだ。台湾映画のレベルを示すというか、賞自体の本質を示す結果としか言いようがない。この程度の出来の映画に賞をやっては本人のためにもよくないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧